Maroizm

プロトスターCEOのコラム

蒸気に火を灯したのは誰か? -投資家と起業家の理想の関係ー

の最近のマイブームは産業革命である。別に比喩ではない。あの18,9世紀のイギリスの産業革命である。縁あって私は先端技術に触れられるイノベーティブな世界の末席に座っているのだが、個人的な趣味は埃をかぶった歴史を眺めることである。産業革命くらい近代史になると、今の仕事にも関連することが増えてくる(のかなぁ、なかなか、これがどうして)

 

さて、私は新卒で当時NIF(ニフ)と呼ばれていた老舗ベンチャーキャピタル(VC)に入社した。そもそも当時新卒を募集していたVCは、NIFの他にJAFCO、JAIC、東京中小企業投資育成など数社しかなかった。隔世の感がある。自身がベンチャーキャピタリストであったことあり、投資家と起業家の関係性についてぽわぽわと考えることがある。

 

そんな中、埃をかぶった先に、私の思う理想の投資家と起業家の関係を構築したチームを発見した時は嬉しかった。その素敵なチームは互いに財産を築いただけでなく、世界に産業革命というひとつの時代を残したのである。素晴らしい!

 

まず起業家の名前は非常に有名である。意識されることなく、いまだに世界でもっとも名前が呼ばれている起業家なのではないだろうか。名前を呼ばれている回数でいったら、スティーブジョブズ、ビルゲイツ、エジソンよりも多いかもしれない。なぜから彼の名は電力の単位W(ワット)となってしまったからである。単位になる起業家は少ない。1兆円企業を創るより難しい。最近だとGoogle創業者のラリーペイジが”ページランク”の語源になったのが近いのだろうか。

 

ェームズ・ワットは効率的な蒸気機関を作った起業家であり、産業革命そのものを象徴している。彼は1736年スコットランドの船大工の息子として生まれた。この時代の職業観はまだほとんど中世である。ガチガチのルールに縛られていた。彼は技術者として働こうと思ったものの、ギルドが求めていた7年以上の修行を終えておらず、一人前に働くことが出来なかったのだ。これで彼はずいぶんと困った。

 

歴史に触れ面白いのは、点と点が線に面にと繋がっていくことである。産業革命は技術革新だけでなく、資本主義という巨大な思想も生み出したが、この資本主義の生みの親の一人も、偶然スコットランドにいたのである。

 

彼の名はアダム・スミス。

 

当時、34歳にしてアダム・スミスはグラスゴー大学で教授として教鞭をとっていた。このアダム・スミスこそ、困っていた21歳のジェームス・ワットに仕事を斡旋したといわれている。産業革命に偶然あり。二人の偉人が同じ大学に同時期に一緒に働いているのである。ワットは、このグラスゴー大学の職(大学で実験器具の修理)で、効率的な蒸気機関を作るきっかけを得ることになる。我々も職場のチームメンバーとは仲良くしようではないか。何がどう歴史的に繋がるかわからない。

 

ちなみにアダム・スミスにはあまり有名ではないエピソードがある。なんと彼は幼少時に誘拐されているのだ。誘拐したのはスリの連中であった。彼らはアダム・スミスをスリに育成すべく頑張ったのだが、あまりにもアダム・スミスが内向的な性格で諦めて解放されている。もしアダム・スミスがスリとして育ったとしたら、別の意味で“見えざる手”を活用し、ロンドン中の財布を得ていたことであろう。

 

て、ワットは偉人であったが、このコラムを読む多くの起業家と同じで、溢れるアイデアと実行力、そして足りない資金に、多すぎるライバルという課題を抱えていた。

 

名古屋の明治村に”横形単気筒蒸気機関”なるものがあり、眺めたことがあるが、まぁ、いかにも大きい。ドーンと鉄の塊である。ワットはこのような物理的にそれなりに大きいモノを製作しなければならなかったし、とにかく大量の特許を取得する必要もあった。そう必要なのは、とにかくお金だ。

 

そんな彼に最終的に投資をしたのが、マシュー・ボールトンである。彼こそ、ワットを生涯かけて支援した人物だ。マシュー・ボールトンはバーミングハムの金属製品業者として、成功した事業家であった。

 

理想の投資家の条件というものがあるとすれば「①事業を経験したことがある」をクリアしている。

 

そしてここからが凄い話だが、彼はこの時代に、コミュニティの力を深く理解していた。彼はコミュニティをもっていたのだ。彼のコミュニティこそ(私の中で)有名な“ルナー・ソサエティー”である。

 

定期的にボールトンの家には、起業家、作家、科学者がワイワイと集い夜遅くまでディスカッションをした。唯一の問題は帰りが遅くなると、客人が帰りにくくなることだけである。なんといってもまだ夜道に電灯がないのである。そこで、いつしか夜道が明るくなる満月の夜だけ開催されるようになったのである。後に歴史学者は、このコミュニティを“満月”の“ルナー”のソサエティと呼ぶようになる。

 

理想の投資家の条件「②自前のコミュニティを持って起業家を育成できる」といったところか。

 

ットには資金だけでなく、刺激的なコミュニティまで用意されたのだ。このコミュニティはメンバーが非常に豪華で、有名なところではチャールズ・ダーウィンの祖父にあたるエラズマス・ダーウィン、陶器のジョサイア・ウェッジウッド、緩やかなつながりという意味では政治家、物理学者、気象学者のベンジャミン・フランクリンなども関与している。

 

(ちなみにこのコミュニティがきっかけで、進化論のダーウィンが結婚した相手はウェッジウッド家のお嬢様となった。そのため、私はウェッジウッドのお皿を見ると、ダーウィンを思い出す。この夫婦には微笑ましいエピソードがあるので、いずれ機会があれば別の機会にて)

 

ットはずいぶんこのコミュニティで刺激を受けたのではないだろうか。このコミュニティ自体は実務派のボールトンと理論派のダーウィンがはじめたもので、一緒に仲良く共同研究などをしているうちに仲間が増え、満月の夜にボールトンの家でワイワイとやるようになって大きくなっていった。

 

私も起業家のコミュニティが非常に身近にあるのでよくわかるが、良いコミュニティは利害でなく、好奇心がある人達がワイワイしているうちに大きく広がるものである。現代の起業家コミュニティも、産業革命時のコミュニティも、重要な根っこは一緒のようだ。

 

ボールトンとワットは後にボールトン・アンド・ワット商会を設立する。今の投資家にこれを求めるのは(時代背景も違い)酷だが、条件③「ポートフォリオでなくパートナー」として、25年間にわたって協力関係を築くことになる。この支援は徹底しており、ボールトンはワットの特許を守るために、議会まで乗り込み特許の延長まで実現している。それに何と言ってもボールトンがワットに次々と優秀な職人を紹介したお陰で、ワットの実験は成功することが出来たのだ。

 

ボールトンは投資家としてヒト・モノ・カネ・情報の全てを提供したからこそ、ワットは得意分野に専念することが出来た。この二人の理想的な関係により、二人は成功を手に入れ、人類は産業革命を手に入れたのだ。

 

らは日本ではほぼ認知されていないが、イギリスはこの投資家と起業家の理想の関係を高く評価し、初めて二人の肖像画を入れた紙幣を発行した。今のイギリスの50ポンドを手に入れる機会があれば、是非眺めて頂きたい。まさに、人類史に残るイノベーションを支え合った二人を記念するに相応しいと思う。

 

成功した後、ボールトンはよほどワットの蒸気機関に誇りを持ち、嬉しかったに違いない。わざわざ工場の見学ツアーを開催し、ワットの発明品を見に来た人にこのように話をするのであった。

 

“では世界中が求めるものをここにお見せしましょう、POWERを!”

 

支援先のイノベーションを喜々として、来る人々に自慢したのだ。条件④「起業家とその事業を愛する」姿がなんとも微笑ましい。この"I sell here, sir, what all the world desires to have – power "であるが、この言葉もまた50ポンドに印字されている。