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プロトスターCEOのコラム

なぜユニコーンは絶滅したのか? -資金調達のリスク-

じめてユニコーンを見たときは流石に感動した。なるほど、一角獣と呼ばれるわけである。馬そのものの胴体に、頭から立派な角が一本生えている。その角が思ったより長くて鋭いもんなのだな、というのが素朴な感想であった。色も純白で綺麗なものなのだが、残念ながら獰猛な性格なので乗って散歩ということはできなかった。散歩したかったなぁ。

 

などという話は、当然にして嘘である。ユニコーンという動物は想像上の生き物とされているからである。モデルになった動物の話はいろいろあるが、とにかくベースは想像上の動物である。

 

て、ベンチャー業界で“ユニコーン”というと、全く別の意味になる。それはとてつもなく大きな成功を“しそうな”ベンチャーを指す言葉になるのだ。はじめて大きな成功をしそうなベンチャーのことを“ユニコーン”と呼ぶと知った時、命名者は相当に皮肉が上手い人物なのだなぁ、と感心してしまった。

 

ユニコーンだが神話上、どのような話が残っているかご存知だろうか?神話では“ある”ことが原因で絶滅してしまうのである。ここで出てくるのは、ノアの箱舟である。そう、あの洪水を前に世界中の動物を乗せた船の話である。

 

ノアの箱舟という話はキリスト教の聖書で有名だが、同じような話は世界中で残っており、有名なところではシュメルの洪水神話やギルガメシュ叙事詩でも語られている。なぜ世界中で大洪水の話があるのかは世界の七不思議だ。

 

アの箱舟における主人公は、その名の通りノアである。彼は予言で世界を覆う洪水が来ると知り、世界中の動物をお手製の箱船に乗せることを決意する。そして、いろんな動物を乗せるのである。

 

その時、ノアはユニコーンもまた乗せようとした。

 

しかしユニコーンは乗らなかったのである。なぜなら、ユニコーンは狂暴な上、その鋭い角があり無敵の動物だったからである。ユニコーンは船に乗るのを断った。そう、自身の力を過信し慢心になった結果、ユニコーンは絶滅してしまったのだ。

 

おお、なんたる皮肉。私はベンチャー業界でユニコーンの名を聞くたびに、この話を思い出す。慢心こそ、身を亡ぼすと。

 

業家から覚えておくべき人物の名前はあるかと聞かれたら、私はサミュエル・ラングレーを紹介している。なぜなら、彼の名前が知られていないからだ。彼が歴史に名を残せなかった、という事実こそ、起業家は知っておくべきなのだと思う。

 

彼は飛行機の発明者であるライト兄弟のライバルだった人物の一人である。ライト兄弟のライバルというワードで、ラングレーをなんとなく思い出した人は歴史&ビジネス通だ。さて、飛行機、それはイノベーションの歴史の中でも屈指のものである。この飛行機というとんでもないイノベーションを自転車屋の二人の兄弟が行うのである。ほとんど奇跡のようなものである。

 

私はいろんなピッチを聞くことがあるが、自転車屋で飛行機を創ろうとするくらい大きなことを言う人は稀である。そして成功する人には残念ながらまだ会えていない。1890年代も同じようなもので、ライト兄弟が世界で最も早く有人動力飛行に成功すると思っている人々はいなかった。自然なことだ。

 

それに対しラングレーは違う。彼こそ世界で最初に飛行機を完成させる人物だと認識されていた。条件が違う。彼はハーバード大学出身で既に著名な天文学者で、かのスミソニアン博物館の館長にまでなっていたのだ。そして何よりも1896年に無人飛行で1キロもの飛行に成功している。条件としては、今のベンチャー業界でも巨額の資金調達ができる。

 

そんなこんなで巨額の資金調達に成功したラングレーであるが、ライト兄弟に有人飛行で負けたのである。豊富な資金や人脈を持ちながら、自転車屋の兄弟に負けたのだ。WHY?なぜか?

 

ングレーの名前を知っている人はビジネス通だと述べたのは、サイモン・シネック氏による有名なTEDのスピーチ「優れたリーダーはどうやって行動を促すか」でライト兄弟と比較の事例で使われているからだ。彼はこのTEDで「ゴールデンサークル」の話をしている。

 

(まだこのTEDを見ていないビジネスマンは、こんなコラムなど読まなくてよいから、先にそっちを見て欲しい。このコラムを通じてこのTEDを紹介出来ただけで満足だ)

 

この「ゴールデンサークル」でラングレーの失敗は、ライト兄弟のように「大義と理想と信念に動かされていた」のではなく「富と名声」を求めていたからだ。WHY(なぜやるのか)の内容が低レベルだからこそラングレーは失敗したのだ、となっている。なるほど、まさに慢心が彼の失敗につながったのだ・・・・

 

と、ここでコラムを終えれば手堅いだろうし、普通の記事ならそうするだろうが、(あくまでもこれは個人的なコラムなので)むしろここから歴史を交えて掘り下げたい。

 

にはラングレーに関する疑問があるのだ。

 

それは、なぜラングレーがWHYを失ったのか?である。私はラングレーが単純に「富と名声」を求めた人間とは思っていない。なるほど、ライト兄弟に負ける頃には富と名声を求めるようになっていたかもしれない。だが、最初はライト兄弟のように「大義と理想と信念に動かされていた」WHYを持っていたように感じるのだ。

 

ラングレーは、天文学者である。1886年に太陽の黒点に関する研究が評価され、全米科学アカデミーよりメダルを受けている。その評価もあり、翌年にスミソニアン博物館で館長に就任している。そんな彼が飛行機に興味を持ったのが1890年代も後半の頃である。彼は飛行機に夢中になり実験を繰り返している。最初はゴムを動力に飛行機を製作した。そして、徐々に小さな蒸気エンジンを使うものに発展していった。

 

この実験に実験を繰り返す頃のラングレーに、富と名声を求めている姿を感じられない。むしろ名声を既に得た学者が新しい分野を思いっきり楽しんで没頭しているように感じる。無人飛行で1キロの飛行に成功したのは、エアロドローム「No.5」である。名前の通り、5機目の作品である。そして「No.6」で1.5キロの飛行に成功。こういう風に実験に実験を重ねている。この頃は純粋に飛行距離や能力の探求に、理想に燃えていたのではないだろうか。

 

しかし、この後に変化が起こるのである。なにが起きたのか。そう巨額の資金調達である。

 

はお金を得て、もっともお金がかかる部品の開発を優先してしまった。それはエンジンである。エンジンは飛行機のコアのひとつなのは間違いない。私は航空学の素人なので、何もわからないが、動力飛行を目指すベンチャーを創業したとしたら、確かに動力部分であるエンジンにこだわるのもわかる気がする。結果的にラングレーは当時としてはかなり強いエンジンの開発に成功してしまう。それは「5気筒で52馬力」というものであった。

 

豊富な資金をもとに優秀な人材を集めた結果、必要以上のものを完成してしまったことが裏目になる。彼のエンジンを積んだ飛行機は二回の実験を行い、二回とも無残な失敗をする。52馬力という巨大なエンジンに対して、飛行機そのものが脆弱だったのだ。

 

そしてこの二回目の失敗のわずか9日後、ライト兄弟による歴史的な成功をおさめるのである。それもライト兄弟のライトフライヤー号はわずか12馬力で飛んだのだ!(52馬力もいらなかった!)

 

飛行思想の違いなど、単純なことはいえないが、もしラングレーが豊富な資金調達をしていなかったら、52馬力のエンジンを作れるようになる前に、何か別な示唆から実験を地道に進めていたのではないか。

 

起業をする上で資金調達はとても重要な要素ではあるが、資金調達にはひとつ大きな罠があるように思う。出来ることが増える分、WHYをかき消してしまう可能性もあるのだ。残念ながら、この手の話は現在でもよく聞く。資金調達には、契約書云々というテクニカルなレベルとは別次元のリスクがあることは、少ない経験からも私から起業家にアドバイスできる。

 

後にラングレーの名誉をもう少しだけ回復させておきたい。そもそもライト兄弟がなぜ飛行機を設計するに至ったか、そのきっかけを知っているだろうか?それはラングレーの無人飛行機の成功を新聞で読んだからだ。彼の無人飛行機の実験を知り、ライト兄弟は自分たちも工夫すればできるのではないか?こうしたらいけるのではないか?などと夢に火を灯したのである。

 

そもそも、スミソニアン博物館で館長という名誉まで得たのちに新領域でチャレンジしたラングレーを私は称えたい。失敗したかもしれないが、まさにナイスチャレンジではないか。彼のナイスチャレンジが、ライト兄弟を歴史的成功に導いたのだ。

 

そう思うと、チャレンジャーに失敗などないように思う。確かに失敗した個人の名前は残らないかもしれない。下手すると悪評だけが残るかもしれない。しかし、いずれその失敗をも糧にして、成功する挑戦者が出てくるだろう。なるほど、そう思うと起業家は動物のユニコーンとは違い絶滅はしない。チャレンジャーが出ていく限り、いずれどこかのチャレンジャーがその精神を受け継いで成功するのだから。