Maroizm

プロトスターCEOのコラム

戦略から兵站の時代へ

 

f:id:maroizm:20200413114314j:plain

Photo by Guillaume Bolduc on Unsplash

来であれば歴史の小話を紹介するだけのコラムであるが、スタートアップ業界が再び変わる時期であるので、真面目にスタートアップに関連する話題を取り上げたい。

 

と、偉そうに始めたが、いつも自身の”無知の知”を思うとコラムを書く手が遠のいてしまう。そんなこんなで1年程度コラムを執筆できなかった、と言い訳を記載したところで、この”無知の知”で有名なソクラテスから話をはじめよう。

 

ソクラテスであるが、彼が弁論で相手を打ち負かすのはイメージができる。しかし、武器を振り回している姿は想像できない。ただそんな彼もアテナイの市民であり、当然のように戦争に参加している。そんなソクラテスによる珍しく哲学的ではない発言のひとつに下記がある。

 

戦いにおける指揮官の能力を示すものとして戦術が占める割合は僅かなものであり、第一にして最も重要な能力は部下の兵士たちに軍装備をそろえ、糧食を与え続けられる点にある

 

そう、つまり兵站である。戦争には武器弾薬、水食糧などが必要であり、スタートアップにはお金が、とにかく手元のキャッシュが必要なのである。ソクラテスが兵站の重要性を語っていたとは、なかなか興味深い。

 

スタートアップの経営者と話をしているとだいたい”戦略”の話になることが多い。その内容が真に戦略レベルなのかはさて置いて、トップは戦略を考えるものだと相場が決まっている。それは下記のような一般的な図にも表れている。まさにピラミッドの頂点が戦略で、そこから下に戦術、作戦などがあり、一番下に兵站がある。この図から見ても、トップは戦略を語るべき、という風になる。

f:id:maroizm:20200507120952j:plain

作戦ってあんまり誰も話題にしないですね~

この手の経営者は完全に2パターンに分かれている。1パターンは、兵站をまるで理解せず戦略を語っているタイプ。そしてもう1パターンは兵站を理解した上で、(別に兵站の話など触れず)戦略を語っているタイプである。この差がこのブラックスワン後の世界においては重要な差になっているのではないだろうか。

 

は兵站は戦略に従属せず、兵站と戦略は両輪であると思っている。つまり兵站はピラミッド構造の下部ではないと捉えている。イメージとしては下記である。

f:id:maroizm:20200413121720j:plain

ちなみに兵站の対義語は前線ですって。ま、前線の話の方が面白いですもんね。

戦略の良さにより兵站は大きく拡充する。そして兵站が立派になればなるほど、より大きく強い戦略を描くことができる。兵站と戦略を徐々に大きくしていくのがスノーボール的に経営を拡大するコツではないだろか。

f:id:maroizm:20200413121756j:plain

連続起業家は最初から兵站があるので、優れた戦略家をまずチームに入れる印象。

この最初の兵站を大きくするための奥の手が、VCからの調達などであり、そこで整った兵站をベースに素晴らしい戦略を描き成功すれば、次の兵站拡大のために資金を出すVCが増える、、そしていずれ株式公開をし広く投資家から更なる兵站強化のための資金を得る、というのがスタートアップ的な成功物語だろう。

 

くまでも戦略と兵站は表裏一体。どんなに最高の戦略家であっても兵站がなければ失敗することは歴史が証明している。最高の戦略家というと歴史上様々な人物がいるが、ここは戦史に歴然とした名を残したハンニバルを例としたい。

 

ハンニバルが歴史に名を残した戦いといえばカンネの戦いがある。これは古代ローマに大勝したもので、塩野七生女史のローマ人の物語にして“ローマがこれほどの敗北を喫したのは、このカンネの会戦が最初にして最後”という一文でもこの戦いのほどが知れる。

 

そんな最高の戦略家のハンニバルが対ローマ戦争に敗れるのは、戦争に負けたのではなく兵站が弱かったからである。本国カルタゴの非協力的態度により兵站が滞ったに対比し、同じくファビアン戦略(持久戦略)として名を残した古代ローマの将軍ファビアンは、豊かな兵站をもとにじっくりと持久戦略をとったのである。そして、この戦わずたた相手の消耗を待つファビアンの戦略が最終的な勝利を導いたのだ。

 

いま、スタートアップにおいて戦略から兵站の時代になった。兵站を無視して突っ走る時代は終焉した。それは好景気で、兵站を若干無視してもどうにかなった時代があったということだけである。

 

戦略を語る前に、そもそも足元の兵站がどのようになっているかまず把握し、そして対策をとる必要があるだろう。それは勝ち続けている先も同じである。時代の潮目が戦略重視から兵站重視に変化したのである。戦略一辺倒の経営では、どんな名戦略家であってもハンニバルと同じ運命になってしまう。

f:id:maroizm:20200413114313j:plain

偶然か必然か、古代ローマも現代アメリカも兵站(ロジスティクス)が強い。Photo by Nicole Reyes on Unsplash

”戦争のプロは兵站を語り、戦争の素人は戦略を語る”という名言がある。実際、今回のショックでもべらぼうに兵站が強い会社は余裕がある。だから別に今は攻める必要もなく、ただ持久戦略をとっている(もちろん、タイミングを見て攻勢できるよう水面下で情報収集をしたり、観測気球を上げたりしている)

 

我々スタートアップは、そもそもにして兵站が弱い。だからこそ、戦略の前にふりかえりたい。自社の兵站力を。結果的にコスト削減なのか調達をするのかはわからないが、まず状況の把握からスタートしたい。それはある意味、戦争の基本でもある。

 

ちなみに古代ローマの指導者予備軍の若者に必ず経験させる官職は、クワエストルという仕事である。和訳では財務官、会計検査官といわれる。ただこれは会計だけが仕事ではない。

 

軍団に必要なすべての物資の調達から、兵士たちへの給料の支払い、その他にも、戦闘の指揮以外の軍団運営のすべてが彼の肩にかかってくる。言ってみれば総務と経理の責任者であって、帰任後の会計報告も仕事のうちだ。このような任務を指導者予備軍の若者には必ず経験させる習慣のあったローマも興味あるが、戦闘指揮が任務の総司令官でも、現実を如実 に映す金の出し入れを経験してこそ、兵士たちを手足のごとく動かすことも可能になると考えていたのかもしれない。(ローマ人の物語III-勝者の混迷)

 

指導者予備軍の若者に兵站の実務を徹底したことが、巨大帝国の礎になったのは間違いない。そして戦争の基本中の基本にして最重要だからこそ、まず戦略をやらせる前に、この仕事を割り振ったのだろう。自軍の兵站がどのような状況になっているのか、それを徹底的に理解した上で戦略を練れるようになるために。

 

站が強い組織は、戦争に強い。上記に記載した通り、強い兵站はより良い戦略を実行することができるので、勝ちやすくなる。歴史的に振り返ると、実は戦略より兵站にイノベーションが起きた時に強くなったタイプがいるように思う。

 

例えばモンゴル帝国は典型的だろう。どうも馬上で果敢に戦うイメージが先行するが、冷静に考えてほしい。ユーラシア大陸史上最大の国土を保有できるほどの帝国を、兵站の革新なくやり遂げられるだろうか?

 

東では鎌倉幕府と戦い、西ではポーランドなどと戦っている帝国である。そう、モンゴル軍は軍事力が強いだけでなく、兵站力が飛びぬけていた。アウルクと呼ばれる移動可能な貯蔵所(ま、ゲルの国ですからね!)や、ジャムチと呼ばれる駅伝制度による情報伝達、小さいところでは羊肉を極限まで圧縮した携帯食の存在など、強い兵站があった上で、チンギスハンの圧倒的な戦略力が活きたのである。

 

著名なベンチャーキャピタリストであるベン・ホロウィッツの最新作は、企業文化について書かれた『Who You Are』であるが、ここでもチンギスハンが取り上げられている。こういう歴史的に大きく勝ち上がった人物を丁寧に探索すると興味深い事象がいろいろ出てくる。

 

ロシア遠征で兵站が弱いイメージのナポレオンも、もともとヨーロッパをけん制できた背景には独自の兵站があった。最低限の食料を四日分運ぶようにしたり、補給担当士官を重要視した組織を形成したり、師団の上に独自の兵站組織を有する軍団を持ったりなど、彼の柔軟的な戦略の陰には強い兵站があったのだ。ちなみに意外かもしれないが、ロシア遠征もナポレオンをして最大規模の兵站で臨んでいた。これで失敗したのはどちらかと言えば、戦略側の問題も大きいだろう。

 

f:id:maroizm:20200413114304j:plain

ジャムチはシベリア鉄道が開通するまで、ユーラシアで最速の情報伝達システムだったそうだ。この兵站力あっての戦略だ。Photo by Yang Jing on Unsplash

が長くなったが、兵站を無視しても戦略がまわる時代は終焉した。今回のショックは企業経営にとって非常に厳しいものがあるが、これを機に自社の兵站力をあげるチャンスでもある。逆に既に独自の兵站力を有しているスタートアップには、競合と差を広げるまたとない機会でもあろう。

 

たまにはスタートアップのコラムに相応しく、スタートアップの関連から引用して終えたい。再び登場のベン ホロウィッツの『HARD THINGS』より。

世界は、平時に見たときと、日々命を賭けて戦わなくてはならないときとでは、まったく違って見える。平和な時代には、適合性、長期にわたる文化的影響、人の気持ちなどを気遣う時間がある。しかし、戦うときには、敵を倒し、部隊を安全に連れて帰ることがすべて

とにかく、時代は変わったのである。