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プロトスターCEOのコラム

なぜ、わらしべ長者はサイコロを振るのか? -起業家の確率論-

日、前々から一度観たいと思っていた京都の都踊りを鑑賞することができた。”ヨーイサー”からの掛け声と共に始まり、とても華やかな舞台であった。春は桜吹雪だけでなく都踊りも舞う季節ということを学んだ。

 

そんな都踊りであるが、演目の中に”わらしべ長者”があった。あの、わら一本から物々交換を繰り返し、最終的にはお金持ちになるおとぎ話だ。都踊りでは「わら」→「アブを捉えたわら」→「みかん」→「長者の娘」といったように話が展開していった。

 

ずいぶん久しぶりにわらしべ長者を観たわけなのだが、この話が随分と印象に残った。というのも、私は目の前で多くのわらしべ長者(やその過程の人々)と会っているなぁ、と感じたからである。

 

は創業前後の起業家の資金調達の相談に乗ることが多いのだが、これは完全にわらしべ長者の始まりに近い。起業家が来て「こういうことをしたいんや!」と述べるのだが、本当にそれ以外になんにも持っていない。ただいるのは、私の目の前に座っている起業家だけである。

 

起業家には途方もないビジョンがあり、日本人離れした行動力があり、それを書いた計画書があり、そこには根拠などないと互いにわかっている事業数値が、形式美として記載されている。そしてこの起業家と気が合う投資家が、なーんにもないところにお金を提供するのである。

 

投資家の運が良いと、その起業家のうち一部は本当に実力があり、売れるサービスを創り上げていく。あれよあれよと資金調達を繰り返し、嘘から出た実のようなビジョンが本当に実現していくのである。その過程で人もお金もどんどん巻き込まれることになる。

 

Facebookを創業したザッカーバーグだって最初は3カ月85ドルのサーバーレンタル代からサービスを開始したのである。ザッカーバーグほどの成功ではないにせよ、今では雑誌やテレビに出るような起業家も、最初はポツンと一人や数人のチームの起業家としてスタートしてきたのは、随分とみてきた。起業家は、まさに現在のわらしべ長者ではないだろうか。

 

そんな感じで都踊りのわらしべ長者をつらつらと眺めていたら、ひとつ重要な点がわかった。どうも、わらしべ長者というと”物々交換”のイメージが強い。物々交換とわらしべ長者は同義語のようなものである。

 

しかし、よく観てみると、わらしべ長者において重要なのは、交換するモノではなく、交換をしているヒトであることがわかる。

 

主人公が心清らかな人物でなかったら、子どもに対して「アブを捉えたわら」と「みかん」を交換しなかっただろうし、その「みかん」を喉が渇いた女性に渡すこともなかっただろう。わらしべ長者の交換で重要なのは”ヒト”のようだ。

 

く考えたら現在の起業家は、一番最初に何とお金を交換しているのだろうか。わらではない(ピッチでわらを持ってこられても困る)。そう、いうまでもなく、起業家その人物自身である。シードの資金調達ほど、人物が重要なことはない。

 

起業家の武器は、誰もが考え付かないようなビジョンや行動力を示すことである。起業家自身がいかに魅力的な交換できる”わら”なのかが、重要なのだ。

 

その起業家が大きなお金や大勢の人を動かせるかどうかは、わら=起業家の魅力次第だ。起業家のビジョンや方向性、過去の行いを通じての信頼度などが評価されるのだろう。

 

業家のことをわらだなんて表現するなんて失礼だ、との声が聞こえそうだが、不思議なことに過去にも「人=わら」だよ、と喝破した人物がいた。

 

その人は単なるわらだとは言わず「人間は考える葦だ」と述べた。ほー、なるほど、つまり「考える葦」の考え方次第で、どんどんわらしべ長者になっていくのが、起業家という職業ということか。

 

わらと葦(あし)の違いは、ほぼない。上記の「人間は考える葦だ」との名言を吐いたのは天才哲学者パスカルだ。

 

パスカルという人は本当の神童である。1623年6月のフランスにて生まれた。ルイ13世の時代で、絶対王政が着々と進んでいた時代だ。

 

いきなり脱線するが、この翌年に宰相になったのがリシュリュー枢機卿。彼を敵役として描いているのが三銃士の物語である。なので、三銃士を思い出してなんとなく頭に浮かんだイメージが、この時代のフランスということになる。

 

(ちなみに更に脱線するが、リシュリュー枢機卿は三銃士では悪役だが、実際は非常に有能な政治家で「フランスを服従させ、イタリアを恐怖させ、ドイツを戦々恐々たらしめ、スペインを苦悩させた」という評価が残っている。彼がいたからルイ13世は絶対王政ができたのだ。いつか彼のようなやり手宰相についても書きたい。こういう人からは学ぶことが多い)

 

て、パスカル。幼い時から数々の神童っぷりを発揮し、16才で『円錐曲線論』という古代ギリシャの数学者アポロニウスの幾何学に関する論文を発表している。そして19才の時には、徴税官として税務計算で苦しんでいる父親のために歯車式の計算機を発明している。(なんという息子!)

 

この計算機で特許まで取得し、50台ほど試作しちゃうのである!結果的にはあまり売れず、このビジネスはやめたそうだ。そう、パスカルは天才哲学者というイメージと違って、意外に起業家的側面もあるのだ。

 

“シェアリング・エコノミー”

 

そう、今を時めくワードのひとつだろう。パスカルは、ピッチ風にいうと「馬車のシェアリング・エコノミーサービス」を展開したこともある。当時、馬車は貴族などが所有する高価なものであった。それを5ソルという安い運賃で誰でも乗れるようにしたのである。シェアリング・エコノミーの走りどころか、時代を考えると公共交通機関の走りのビジネスであった。

 

1662年にルイ14世から営業許可をもらい、まず馬車7両4路線で始めた。素晴らしいアイデアではあったものの、「兵士、近習、召使い、その他の労働者」の利用は禁止という規制が入ってしまい事業としては失敗に終わる。

 

(交通系のシェアリング・エコノミーが国の規制のせいでサービスが立ち上がらないというのは、どこかでも聞いたことがある話だ。本当に時代は進んでいるのかね?)

 

うであれ、パスカルは自らも考える葦として、その能力を社会と幅広く交換し、様々なことに挑戦していたことがわかる。哲学者としてだけでなく、その能力が及ぶ範囲を自ら広げ、機械を発明したり、ビジネスを展開したり、本を書いたりしてきたのだ。

 

まさに、彼はそうやって自分の能力を多くの人々と交換し、そして多くの人々から信頼を得て歴史に名を残すような人物になったのだ。

 

そんなパスカルだが、本当に多くの人と交流をした。徳の高い人もいれば、そうじゃない相手だっている。ちなみにパスカルは『パンセ』を書き上げるくらいなので、非常に信仰深い人物であった。そんな信仰深い彼の友人に、変わった人物がいた。シュバリエ・ド・メレという名の貴族である。

 

彼は貴族として戦争などにも行ったことがあるような人物であったが、歴史的にはギャンブラーとして有名である。パスカルは天才であった。そしてシュバリエ・ド・メレはギャンブルに勝ちたかった。ここでひとつの交換が行われる。

 

パスカルはその「好奇心を満たす」ために、シュバリエ・ド・メレから「ギャンブラーの問い」を得るのである。結果的に、パスカルはある分野でも歴史に名を残し、シュバリエ・ド・メレは(彼の文句は歴史に残っていないことから)ギャンブルにその後ちょいちょい勝ったのだろう。

 

さて、ド・メレの質問はサイコロ博打に関する質問であった。ここでは数学的になるので質問を省くが、このサイコロ賭博の質問を、パスカルの友人であるフェルマーと共に往復書簡をしながら解くことになる。そして段々と数学的な解が出るようになり、今の”確率論”の世界を切り開くことになるのである。

 

(ちなみにここで出てくるフェルマーとは、あの”フェルマーの最終定理”の彼だ。彼についても書きたいが、残念ながらそれを書くには余白が足りないようだ)

 

スカルは多くの世界に様々な業績を残したが、人生でいうとわずか39年の年月であった。彼は自分の能力を積極的に打ち出し、多くの物事と交換をした。彼は事業では失敗などもしている。ギャンブラーとも付き合っている。しかし、そんなことをリスクとは思わず多くの人や物事に自分の能力で何ができるか真剣に考えてきたのだろう。

 

彼はリスクをものともせずサイコロを振り続けた。

 

パスカルという人はずいぶん多くの名言を残しているが、有名なものに「もしクレオパトラの鼻がもう少し短ければ、歴史は変わっていただろう」というものがある。そのクレオパトラの愛人でもあったカエサルは、皇帝を目指すにあたって「賽は投げられた」との言葉と共にルビコン川をわたるのである。

 

いつの世も成功の前にはサイコロを投げないといけないようだ。

 

り返るに、どうも世の中には2種類の人間がいるようだ。自らのわらを交換する人と、しない人だ。わらしべ長者だけ見ると、さも交換するに越したことがないようにみえる。

 

しかし、交換によって今まで持っていたものよりも劣る結果になることだってあるのだ。であるなら、現状維持のままで交換しないで自分を大事に守ろうとする人もいるのも理解できる。

 

それでも、人によってはサイコロを投げて、そのリスクを背負った上で、自らのわらをどんどん交換し広げていく人もいる。どちらかが正しいとかではなく、世界観や生き方の違いであろう。

 

がよく会う挑戦者たちは、そもそもサイコロを投げることをリスクだと感じていない。彼らがなぜリスクを感じないのか、話を聞いていると大体理由は下記のようなものだ。

 

①万が一、失敗しても、その経験は人生の糧になる。

②そしてもし成功したら、全世界をより良く変えることができるほどのインパクトを残せる。

 

つまり失敗のリスクはないに等しく、成功した暁にはとんでもないリターンが得られると考えているのだ。

 

パスカルは『パンセ』の中で、神を信仰するべきかに関して、次のような考えをした。どうであれ信仰すべきだ。もし神様が本当にいたら、永遠の命を得られる。逆に神様がいなかったとしても、別に何も失うわけではない。

 

この哲学的な考えは「パスカルの賭け」と呼ばれている。

 

不思議なことに、挑戦者が挑戦することにリスクを感じない理由と同じロジックのようだ。さて、読者が挑戦者なのであれば、今日もまたサイコロを振って、わらを交換しようではないか。