Maroizm

プロトスターCEOのコラム

フランケンシュタインは三度生まれる -おこもりの捉え方-

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Photo by Marc Szeglat on Unsplash

の我々のように全員がこもっていた。そして、全員が出られるものなら出たいと考えていた。ナポレオンの場合、ロシアに負け失脚。エルバ島に閉じ込められていた。しかし、彼の野心は未だ消えず、再び天下を取ることを狙っていた。1815年2月、ついに彼のエネルギーは爆発し、エルバ島を脱出。

 

それから2か月後、インドネシアで本当にエネルギーが爆発。地球深くにこもっていたマグマはついに地上上空に解き放たれる。そう、タンボラ山が大噴火を起こしたのだ。

 

さらにそこから2カ月後、ベルギーで雨が降る。このせいで道がぬかるみ大砲の移動に想定以上に時間がかかることになる。このため、ナポレオンは戦闘開始を9時ではなく13時に遅らせる。この判断が彼の運命を狂わせる。これ数時間のズレにより、イギリスやオランダなどの連合軍にプロイセン軍の来援が間に合うのである。これが彼の敗因である。

 

ナポレオンはこのワーテルローの戦いにやぶれたことで、南大西洋の孤島セントヘレナ島に幽閉され生涯を終えることになる。マグマがこもったままならば、彼は戦争に負けず歴史も変わっていたのかもしれない。

 

さて、この雨は偶然だったのか?

 

もちろんたまたま雨になったのだろう。しかし、この年は特に雨の多い一年でもあったのだ。もちろん原因はタンボラ山の噴火である。グローバル化の遥か前から世界はひとつであり、人類はどんなに合理的に動いているようであっても自然の摂理からは逃れられないということなのだろう。

 

後に1816年はYear Without a Summer"夏のない年"と呼ばれることになる。そう、このひどい憂鬱とした天気が続いたせいで、今日の主人公もこもるしかなくなったのだ。

 

マン派の詩人、バイロンはひどく特徴的な人物で、貴族として生まれ、恋愛に明け暮れ、多くの素晴らしい詩を残しわずか36歳でこの世を去ることになる、まさに疾風のような人生を歩んだ人物である。ちなみにゲーテをして、今世紀最大の天才と彼を称している。

 

そんな彼は逃げに逃げていた。そう、あまりにも恋愛に明け暮れた結果、逃げざるを得ない状況になっていたのだ。結婚し子どもが出来た直後に不倫をし、異母姉との間に子どもを産み、並行して同性愛疑惑があったと記載すれば、なんとなく逃げなければならない状況は想像できるだろう。一方でナポレオンが世界をかけて戦っていたような時代に、こういうことで逃げていた人もいたということである。

 

そんな彼は最終的にスイスのレマン湖に一軒の別荘を借りることにした。天気がよければ最高に気持ち良い場所ではあるが、残念ながらこの年は夏のない年。このせいで彼はこもることを選び、“事実は小説より奇なり”というような歴史的な偶然が重なることになる。

 

(ちなみにこの“事実は小説より奇なり”という言葉は、バイロンの『ドン・ジュアン』で使われた言葉である。我々凡人は知らない間に天才の発明を使用しているものだ)

 

凡人と言えば、急に個人的な話で恐縮であるが、私の最大の弱点はホラーである。ギリギリの資金繰り、混乱する現場、大幅に延期する開発、などなどに対しては耐性があるのだが、こわい話は一切駄目である。そんな私がこの歴史上”幽霊会議”と評される夜の出来事をここで記載するのは、そんなに気が進むものではない。

 

荘の名前をとって"ディオダディ荘の怪奇談義"とも呼ばれる会議に参加したのは、5人であった。まずはバイロン、そして彼の主治医ジョン・ポリドリ、バイロンの愛人でその時バイロンの子を身篭っていたクレア・クレモント、その義理の姉であるメアリー・ゴドウィン、そのメアリーと不倫関係であったパーシー・ビッシュ・シェリーである。まるで舞台の登場人物のような絡み合った関係の人々が、憂鬱な雨の中、ひとつの別荘にこもったのである。

 

バイロンが詩を読み、それに触発されたシェリーが大声で叫びながら倒れるなど幽霊会議に相応しいドタバタが起きたあと、バイロンは一人ずつゴースト・ストーリー、つまり怪談話を書こう、と提案をするのである。(つまり天才バイロンと世の中の修学旅行生が夜に怪談話をするのは全く同じ構図である。なんなんだろう?)

 

この幽霊怪談をきっかけにメアリーがコツコツと書いて完成させたのが『フランケンシュタイン、或いは現代のプロメテウス』である。そう、あの怪物、フランケンシュタインはこの幽霊怪談をきっかけに誕生したのである。まずは小説として。

 

のフランケンシュタインであるが、タイトルに”或いは現代のプロメテウス”とある。プロトスターの代表としては同じ「Pro」が付く以上、ギリシャ神話に脱線をする権利というものがあるだろう。まずプロトスターは分解すると、pro(前に)+star(星)で"生まれたばかりの星"を指す宇宙用語である。そしてプロメテウスはpro(前に)+"mētheus"(考える者)で「先見の明を持つ者」という名の神である。

 

彼は、ギリシャ神話全能の神(といいながら奥さんに怒られたりすぐ嫉妬するような)ゼウスの反対を押し切り、人類に天界を"火を与えた神"として知られている。人類はこのプロメテウスの火をつかい文明を構築し繁栄の礎とした。しかしゼウスがそもそも反対していたように、同時にこの火の力によって人類は戦争などもはじめるようになってしまうのである。

 

フランケンシュタインもまた人類によって生み出された英知であると共に、共存の仕方を間違えれば災いにもなる存在であるということで、このタイトルにしたのであろう。小説フランケンシュタインは、悲劇として描かれた。

 

ちなみに”プロメテウスの火”は現在では、原子力の暗喩として使われることが多い。ノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎先生は、まさにそのまま『プロメテウスの火』という本を出している。原子力はまさにプロメテウスの火と呼ばれるに相応しい功罪持ち合わせた存在だ。

 

腕アトムは、そんなプロメテウスの火を動力に動き回るヒーローである。そのアトムの世界には、ロボット法なるものがある。その法律の着想になったアイデアは、SF作家アイザック・アシモフのロボット工学三原則である。これは非常に名高く多くの人が知っているだろう。それは下記の三条からなる。

 

第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することで、人間に危害を及ぼしてはならない。

第二条 ロボットは人間の命令に従わなくてはならない。ただし、第一条に反する場合は、この限りではない。

第三条 ロボットは自らを守らなくてはならない。ただし、それは第一条、第二条に反しない場合に限る。

 

このロボット工学三原則であるが、これは人類にロボットはこわくないよ、人類を脅かさないよ、ということを伝えるために作られた原則である。アシモフは人類自らが創ったロボットや人造人間にいつか滅ぼされるのではないか?という恐怖のことを”フランケンシュタイン・コンプレックス”と呼んだのである。

 

なぜか人類はイノベーションを起こし、新たな文明をも築く火を手に入れたとき、繁栄と共に恐怖を抱いてしまうようになっているようだ。ギリシャ神話は遥か遠くの過去の話のようだが、決して今でも色あせない理由はこの辺の普遍性にあるのだろうか。

 

フランケンシュタイン・コンプレックスを脱するために生み出されたロボット工学三原則は、今でも形を変え実際のロボット工学で応用をされている。フランケンシュタインはアシモフによりロボット時代の幕開けから、再び違う役割で誕生したのである。

 

イロンが夏のない年に幽霊会談をした時、まさかこれがきっかけでフランケンシュタインが誕生し、それが現在のロボット工学にまで影響を及ぼすことになるとは全く想像はできなかっただろう。ましてや、バイロンの激しい恋愛関係が更なる”事実は小説より奇なり”を生み出すことになるとも想像もしなかったはずだ。

 

幽霊会談の一年前、バイロンは一人の女性と恋に落ちる。このアナベラ・ミルバンクとの間で出来た子どもがバイロンにとって唯一の嫡出子となる。その子どもが出来てすぐにバイロンは妻から逃げ、浮気をし、幽霊会談までいくことになる。

 

さて、妻であるアナベラ・ミルバンクは非常に憤ることになる。(そりゃそうだ)そして彼女は子供に詩の勉強はさせない!数学を教える!と強烈に理系での勉強を進めることになる。そもそもアナベラ・ミルバンクは別名で平行四辺形のプリンセスと呼ばれるような数学的教養が高い女性であったので、娘に数学を教えるのは自然な流れでもあった。(平行四辺形のプリンセスとは何と素敵な称号だろう)

 

バイロンは天才詩人であったが、彼の唯一の嫡出子は数学者になったのである。彼女こそエイダ・ラブレス。”世界初のエンジニア”と呼ばれる女性である。彼女は後にコンピュータの父と呼ばれる数学者チャールズ・バベッジと師弟関係になり、その中で世界で最初のコードを書き残すことになる。このコードを実際に実行できるような機械が誕生するのは、さらに100年もの月日が必要になるのだが、彼女は先行してその概念を書き残した。

 

実は、彼女が本当に世界で一番最初のエンジニアであるかは様々な議論がある。しかし、彼女が当時だれよりもコンピューターの未来を見据えていたことを否定する者はいない。彼女が非常に偉大であるのは、全く世の中にコンピューターがない時代に、そもそもコンピューターそのものの概念を理解しただけでなく、その可能性をもっとも見出していたことだ。

 

コンピュータの父であるチャールズ・バベッジはあくまでも数学者として機械式の計算機までしか想像をしていなかった。それでもすごい。まだ19世紀も半ばの話である。そんななかで彼女は、いずれこのような機械が素敵な音楽を産み出すようになるだろう、とハッキリと書き残しているのである。いずれ機械が音楽を産み出すような時代がくるとは、、当時の世界の人にはまるで理解の範疇を超えていただろう。

 

ジョン・グラハムカミングによる「かつて存在しなかった最高のコンピュータ」というTEDがあるが、彼はこれを“ラブレスの飛躍”と呼んでいる。まさに彼女は現在のAIまで見据えた未来を見ているのである。19世紀において彼女は概念として非常な飛躍をしている。

 

天才詩人であるバイロンの想像力と数学者の母の影響を受け、ロジックを理解した上で遥か未来を想像できるという稀有な能力が生まれたのではないだろうか。間違いなく彼女が今生きていれば起業家になっただろうし、我々に更に多くのイノベーションを生んでいたことだろう。

 

どうであれ、彼女の時代から長い年月を得て、ラブレスの子孫(つまりエンジニア)たちは遂にAIを生み出すことに成功した。AIは実際に音楽を自ら産み出すようになったのである。彼女の想像の世界は、ここに現実の世界となった。

 

そんなAIはシンギュラリティの議論で語られることが多い。AIは人類に繁栄をもたらすと共に人類を破滅に追い込むのではないか?この恐怖。そう、これはまさにフランケンシュタイン・コンプレックスである。フランケンシュタインはAIを通じて三度の誕生をしたのである。

 

イロンという男は、一方でフランケンシュタインを、一方で実子を通じて世界で最初のエンジニアを生んだ。まさに事実は小説より奇なりである。一人の芸術家の恋愛とおこもりが、結果、現在のAIまでつながるのである。

 

私はアートが好きだが、まるで未来のイノベーションなど考えもしていない一人の芸術家が、様々な偶然と長い時間を煮込んで次のイノベーションの土台を創り上げるかもしれないと思うと非常に面白いものがある。イノベーションは狙ってできるものばかりではないようだ。やはり何事も余白というものは大切である。

 

 

(余白)

 

 

コロナを通じて世界中で多くの人がどこかにこもっている。いま、この瞬間に100年後のイノベーションにつながる何かが生まれているのだ。イノベーションを生むぞと思ってこもる者、激しい恋愛から逃げまどってこもる者、露とも自身の行動が次の世代のイノベーションにつながるとは知らない者。そんな中なら次のイノベーションの種が生み出されるのだろう。そう思うと長いおこもりも悪いことばかりではないなぁ、そう感じながら最近は過ごしている。